2016年8月28日日曜日

咽ぶ因に食ふを廃す、ポケモンGOについて随筆

タイトルにある文の原文は「因噎廢食」です、書き下ろしをしたいですが、正しいかどうかわかりません。宜しくお願いします。


 僕自身はやっていないが、ポケモンGOは、まさにこの科学技術の頂点に立つ21世紀に相応しいゲームと言っても過言ではない。

 新聞やニュース、いや、さっき自分が歩いていた道に、ポケモンGOをやっていた人が何人かがいるのだ。
 僕は別に嫌いではないが、僕の国では、四十代の人たちは、世界が終わりだと叫んでいる。そして、こういうポケモンGOゲーマーをゾンビーと呼びながら、軽蔑的な目つきで見ている。

 ポケモンGOゲーマーよりも、彼らを嘲笑う人たちのほうが、僕は気に入らない。
 まず、今の科学技術では、こういう物が作られたのは必然な結果で、これからも必ず、ポケモンGOより人を魅了するものが作られる。そのとき、この人たちが死ぬほど怒鳴る姿が想像できる。

 この人たちはひたすらこういう状況を批判し、何一つの打開策も挙げられない。こういう心理について、一つの例を挙げよう。《呂氏春秋》によると、「咽るのを恐れるから、いっそ食事をやめよう。」という物語がある。それを今の状況から見ると、「ゲームに熱中するのが恐ろしいから、ゲームは禁止だ。」ということになる。こういう心理を理解できなくはないが、僕は認めない。
 何故なら、全部を禁止するのは、勿論、切りがないから、現実的には無理だ。

 では、これから、どうすば良いのか。
 僕には一つの考えがある。それは自分の欲望を控えることだ。
 具体的に言うと、自分をゲームに夢中にさせないこと、ゲームを現実生活に影響させないこと、ゲームよりも現実を大事にすること。これらの原則を守るなら、誰も嫌わないだろう。

 皆さんもゲームをやっているときには、気を付けてください。
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Mikaniroさん、
ありがとうございました。
http://lang-8.com/kakukangen/journals/44703159857483440837381416838239473360

2016年8月27日土曜日

壱、混沌出世 大鳳慈悲 / 壱章の二

前編https://kakuhiromoto.blogspot.tw/2016_07_01_archive.html
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凡歩平は剣を鞘に戻し、
目を瞑った。
すると、
「師匠、人が近づきます。」と、
「息が急ぎ、足取りも重い。さぞ疲れてるな。」
「弟子が見てきます。」
話が済むと、
間もなく木の上で身を隠し、
来客の元へ行く。

数十本の木を経て、
一人の少年の姿が目に入った。
彼は上等な布で作られた衣装を着ている。
ただ、
その衣装はもうボロボロになった。
彼の額に汗だらけ、
目には輝きもなく、
屍のようにひたすら前へ進む。
ふと、
あの少年が魂を取り戻したように叫んだ。
「外道め。出てこい!俺様がぶっ殺してやろう!!」
次に、
少年は腰に懸かった剣を抜いて、
あちこちを斬り舞っている。
ひゅーひゅーと剣気の音がした。
その風音からみると随分と多い力を持っている。

それを見た凡歩平は心の中にこう思っている。
この人は疲れすぎて狂気になったか。いや、僕が来たばかりに、こんな動きが始まった。小さい頃から師匠から聞いた。僕がシユウの転生者だと。信じられない話だが、師匠は決して嘘をつかない。まさかこのシユウの気配を感知したかもしれない。この男はいったい......。ここで変なことあれこれを考えても無駄だ。いっそこの男に試してみよう。
そうしたら、
凡歩平は木から降りた。
「お客さん、我が聖地の太山で、外道めが存在するのはあり得ない話だ。」
「そこの道士よ。この浪人は太山の名に慕ったから、千里も辞せずに、ここにやってきた。どうやら、勘違いしたな。まさか、ここまで妖気が重いのは意外だな。ハハハ......ハハハハハハハ............。」
少年は笑いながら、凡歩平を睨みついている。

「太山のここら辺は、僕と師匠が住んでいるだけ、他に何者でもいない。」
「そういうことは、この辺りにいるのは外道の師弟しかいないっていうことか。やはり天は我を亡ぼそうかよ。少なくとも、その外道の命を道連れとしてもらおう。」
話が終るのを待たなく、
凡歩平は一歩を退いたとともに、
相手の剣が自分の心臓を指し、近寄っている。
「よせっ!僕には剣を抜く理由はない。」
「知るか!その心臓をもらうぞ。黒いかどうか確かめよう。」
「待てっ!あなたはどうやって、そういう妖気を感じれるのか。」
「いずれここで死ぬなら、閻羅王に聞け。」
「どうやら、人の話をちゃんと聞けないみたいだな。」

突然、
銀光一閃、
凡歩平の手に、
一本の剣を握っている。
ちょっとやばいな。さっき師匠に剣法を演じたばかりに、人と戦うのは絶対にやばい。どうやら、一撃で決着をつけよう。
凡歩平は深く一息を吸った。
そして、八割の気を剣にかけ、
両眼に入ったのは相手だけ、
走り始める豹のように、
何時でも相手を切り裂くように、
凡歩平には、
いつも師匠が教えてくれた手加減をするのが全く忘れていた。

凡歩平は
腹からハッと、
一息を吐いた。
全力で進み、
その剣の先は三つになっている。
届く先は喉、心臓、腹、
容赦するようもない。

つづく

2016年8月25日木曜日

武侠小説について随筆

 硬い表現で書きたいんですが、宜しくお願いします。( ´∀` )

 皆さんは「武侠小説」というものをご存知でしょうか。

 僕の印象では、武侠小説とは中国風のファンタジー小説である。「武侠」とは文字通りに「武力を持つ侠客」である。その武力は現実を越え、超能力といっても過言ではあるまい。

 当世、最も名高い武侠小説の作家 「金庸」先生の作品は、漢人である限り、知らないわけにはいかない。*1
 僕が初めて武侠小説と出会ったのは、 金庸先生の「神鵰俠侶」に基づいたアニメである。それから、図書館で原作を借りた。 金庸先生の作品は漢文と現代文とが混じっている文章である。中学校時代の僕には、さすがに難しい。だが、情熱さえあれば、何とか乗り越えることができた。

 僕は授業の時も、昼休みの時も、ひたすらそれを読んだ。おかげで、国語について興味が深くなっていった。高校時代も、大学時代も、国語の成績は常にトップである。そして、それが漢文を勉強する契機にもなった。

 話を戻し、今投稿したい契機は武功*2 というものである。武侠小説を読みながら、不思議な力に憧れている僕は、一つのことに気付いた。毎日しっかりと練功*3 すれば、いずれ武林を制覇する*4 ことができるのではないのか。では、何故人はそうしないのであろう。

 あれから、八年も経ち、僕は一つの答えに辿り着いた。それが「意志」である。彼らは本当に役立つことにやる気は出せず、目の前の娯楽に引っ掛かっている。彼らの辿り着いた結果は、自分より強い達人に殺されるしかないということだ。

 このことに気付いた僕はもう一つのことを考えずにはいられない。それは自分のことだ。勿論武林を制覇する必要はなく、現実には武功は存在しない。だが、「本当に役立つことにやる気は出せず、目の前の娯楽に引っ掛かっている。」という状況は同じだ。僕がしっかりと勉強しないと、自分より強い人たちに殺されるかもしれない(精神的に)。いや、過去の自分に負けることだけで、十分に哀れな話ではあるまいか。孔子は曰く、「学は逆水を行く舟の如し、進まざれば即ち退く。」*5 、毎日前へ進まないと、後に戻るしかあるまい。

 これらに気付いた僕は、自分の未来を考えるだけで、直ちに勉強せざるを得なくなった。

 何か違和感に気づいた時、それを自分の場合に立ち、きっと何かを得るのであろう。

 武侠の話をしようとするが、この投稿が長すぎるため、次の投稿で話そう。
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*1 「金庸先生」の前に、スペースを打つのは、中国で尊敬を表す表現である。
*2 武功とは、漫画のナルトの忍術と似てるものである。
*3 練功とは、武功を修練することである。
*4 武林を制覇するとは、侠客のトップになることである。
*5 學如逆水行舟、不進則退。
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RUさん、KawasemiHamiさん、
ありがとうございました。
http://lang-8.com/kakukangen/journals/17440655963584050382750388618493985838

2016年8月21日日曜日

台湾で​の「食事マナー」

 伝統的な台湾人(四十代以上)は食事中、ご飯を食べながら、今日の細かい出来事から、世界の動向という深刻なテーマまで、語り合う傾向がある。
 食事の最中、台湾人は自分の箸で、自分の好きな料理を客のお椀に取ってあげ *1、杯を交わし、酒を一口で飲み干し、そうしたら再び杯を満たす。お腹がいっぱいになるまでこれを繰り返す。
 そして、「敬酒」という行いがある。自分が飲みたいとき、客に「飲み干せ」と言い、乾杯の動きをする。こういう行いを、一回の食事で、何度も繰り返す。

 これらの全ては、自分の誠意や「好客」という客をもてなす行為ではなく、家族や友人との絆を更に深くするためでもある。
 客のお椀に料理を取ってあげるのは、客が遠い料理を取るのが不便なため、代わりに自分がしてあげるということである。
 「敬酒」も同じである。そういう台湾人は、自分だけで酒を飲むと、客が無礼と感じる恐れがあるから、みんなで同時に飲めば、大丈夫だと思って「敬酒」するのである。

 僕はこのような行動が、好きとは言えない。小さいころから、二十年も経ち、懐かしい思い出とはいえ、こういう光景はあまり再現して欲しくない。
 何故なら、まず、食べ物を口に入れたまま喋るのは、汚いとおもう。僕の場合、必ず食べ物を呑み込んでから喋る。
 次に、自分の好きな料理は自分で取りたい。好きでないものをお椀に入れられたら、なかなか文句を言いにくいので食べるしかない。
 最後に、みんなで一斉に酒を飲むのは、最初の乾杯だけにすればいいと思う。毎回やるのはやや面倒だと思う。

 一つの例を挙げよう。従姉のご主人は西ドイツ人であり、おじさんたちが「敬酒」を何回もやったので、彼はだんだんうんざりしていたような気がした。

 これらの行動は、いわゆる「もてなし」と言われる。
 だが、本当にそうなのか。僕はそうだと思わない。それはひたすら自分のもてなしの心を示そうとする行為だが、逆に相手の本当の求めに応えられなくなっている。

 本当に人のためなら、自分の思い通りではなく、相手の望みに従おう。

*1 台湾では、一人ずつ別々に料理を盛るのではなく、皆で大皿の料理を、自分の箸で取り分けて食べる。
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Changさん、Yukariさん、U3さん、Heechangさん、
ありがとうございました。
http://lang-8.com/kakukangen/journals/185651463941176939100443987347346588718

2016年8月19日金曜日

財布を盗まれたら、どうしますか

 先日ネットで、ある人はが財布に泥棒へのメッセージを入れたというニュースを見ました。*1 面白いと感じました。
 この人はさぞかしユーモアのある人なのですね。それだけではなく、凄いと思います。

 人の話はおいといて、僕の場合だったら、怒るかもしれません。でも、冷静に考えると、どうせ金を失う状況に陥るなら、逆に穏やかな口調で泥棒さんに交換条件を出して、財布にある書類を救い出すのがより良い行動ではないでしょうか。

 人生の道は決して平穏ではありません。大切なのは自らの意志です。必死に逃げても逃げられないことに遭遇したら、どう逃げるかを考えないで、どう受け入れるかを考えるのが大切だと思います。

*1 新注音新聞https://www.facebook.com/255223767942122/photos/a.256723121125520.64561.255223767942122/846518488812644/?type=3&theater
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Ryoさん、KawasemiHamiさん、
ありがとうございました。
http://lang-8.com/kakukangen/journals/129456894712379724450671969263283897390

2016年8月18日木曜日

青臭い僕の一言

 もうすぐ社会人になる僕を振り返ると、中学校時代の自分を見て、懐かしくて、口元にちらっと微笑みが浮かびました。
 あの時の僕は、大人の世界の何もかも分かりませんでした。頭にあったのは、好きな子とできるだけ、喋りたいということです。
 その時の僕は、好きな子と手を繋げたら、夜は眠れないほど嬉しくなりました。そして、話すらできなくて、視線を交わすだけで、恥ずかしくて、その子から目を逸らしました。

 その頃から、おおよそ十年が経ちました。それにしても、好きな子に対する基準はあまり変わりません。良い子で僕と相性が合えば良いと思います。
 それに、今の自分は成長していないと感じます。好みの子と目が合ったら、やはり目を逸らさずにはいられません。二十一歳のガキといっても過言ではありません。
 好きな子に対して、変なことは考えていなくて、ただその子を守って、自分のすべてを捧げたいです。

 何もいらないし、そばにいるだけで、僕は満足します。
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sionさん、
ありがとうございました。
http://lang-8.com/kakukangen/journals/53082982529107816568085708494025766241